JP01 vol.4 2014年夏号 <後志>

「しりべし」の名が初めて書物に登場するのは、なんと日本書紀。安倍比羅夫(あべのひらふ)によって「後方羊蹄」に軍領(役所)が置かれたとされる。
諸説あるが、現在の後志こそが、その地に当たるらしい。「後方羊蹄山(しりべしやま)」「尻別川(しりべつがわ)」「比羅夫(ひらふ)」などの地名に、その名残がある。

明治時代に入り、「後方羊蹄(しりべし)」の語音をとって「後志国(しりべしのくに)」となった。名付け親は、幕末の探検家、松浦武四郎だ。
武四郎は6回にわたる蝦夷地踏査のうち、そのほとんどで後志に立ち寄り、この地を北海道行政の中心に据えることを夢見ていたという。

気高き山々と清麗たる水の流れ、そして紺碧の海。
比羅夫や武四郎が夢を抱いた地では今、美しい自然と人間が絶妙に解け合い、眩いばかりの魅力が輝いている。

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