火山マイスターと遺構を散策

洞爺湖ビジターセンターで待ち合わせて、散策に出発。ビジターセンター内には、火山の噴火の様子や、洞爺湖がどのようにできたか、洞爺湖周辺の自然環境などがわかり安く展示されている。取材の日も、小学生が大勢見学に来ていた。

インバウンド客も増加し、賑わいを見せてきている洞爺湖温泉。20〜30年ごとに噴火すると言われている有珠山が温泉街のすぐ近くにあり、実際に被害を受けた住民もいます。2000年の噴火時には、地元住民の事前の避難により、死者0名だった事はご存知でしょうか。

活火山と観光地、そして、移住して来る人々・・・。その関係を知りたくて、「洞爺湖有珠火山マイスターネットワーク」にお願いして、噴火の遺構を一緒に巡って頂きました。52人もいるガイドさんの中から、今回は荒町美紀さんが担当してくれました。荒町さんは、洞爺湖町在住歴20年。洞爺湖でボートやカヌーのレンタル事業や、ガイドをしています。2000年の噴火時には避難の経験もあるとの事。当時住んでいた付近の金比羅火口災害遺構散策路を歩いてみました。

火山マイスターの荒町美紀さん。伊達市のコミュニティFMでパーソナリティも務めているそう

「2000年の噴火で、当時の自宅を出た後から、ここには住んでいません。わたしたち家族が住んでいた桜ヶ丘団地は今、金比羅火口災害遺構として噴火時の様子を伝える役割を担っています」。火山マイスターの資格を有し、観光客や地元の小中学生に自身の火山噴火体験をもとにした災害を軽減する知恵などを伝えています。「2000年の4月1日に金比羅山が噴火しました。わたしたちが住んでいた団地のすぐ裏側にあった山から噴火したんですけど、町の指示で3月29日には避難所にいたので無事でした。その時の噴火で死者が出なかったのは、洞爺湖町が日頃から災害対策をしっかり行っているからだとわかりました。私も引っ越しして来て6年も住んでいたのに、避難の2日前位に夫から〝窓から見える、あそこ(金比羅火口)も有珠山の一部だから噴火してもおかしくないんだよ〟と知らされるまで、知らずに生活していました。まさか・・・とは思いましたが、近所の方々や、1977年の噴火を経験している方々から避難した方がいい、と促されたし、行政の避難指示も3月29日に出たので、布団や着替え等を持って、避難しました」。明るく笑顔を交えて話すのは、犠牲者がゼロだった事が大きいとの事。「噴火のたびに建物のいくつかは無くなってしまいますが、その度に次に向けて動きだす前向きな取り組みが行われています。温泉街ということもあって観光客の方も多いのですが、お店の人も対応に慣れているので避難誘導もスムーズに出来たのだと思います」。金比羅火口災害遺構散策路は、洞爺湖ビジターセンターの山側にあり、歩きながら洞爺湖も一望できます。ただ単純に歩くだけなら、15分〜20分です。温泉街からこんなに至近距離で噴火が起こったなんて、改めて驚きです。

噴火の泥流で押し流されて来た橋桁

荒町さんに洞爺湖町の魅力を聞いてみました。「金比羅火口災害遺構がそうなんですけど、通常であれば観光地としては隠しておきたい景観の一つだと思うんですよね。でもこの町はそれを観光資源にして、訪れる人に知ってもらおうとする。その結果かわからないですが、洞爺湖町に住む方は観光地としてだけでなく、災害を含めてもなお、好きで住んでいる方が多いように感じます。20〜30年ごと位に噴火は起きますが、生きていれば人生は自分次第でどのようにでも立て直すことができます。そんな前向きな気持ちで住んでいる方が多いと思うので、明るくていい町だと思います。毎日違う表情を持つ洞爺湖を眺めているとそんな穏やかな気持ちになれるんでしょうね。私も、ここを離れられないひとりです」。

荒町さんも住んでいた桜ヶ丘団地。1階が泥流で埋まっており、5階の部屋からは噴火の後、風で飛んで来た木の種が部屋の畳を栄養にして発芽している。19年の年月を実感

荒町さんは火山マイスターとしてトレッキングで災害対策についてなどを紹介するほかに、アクティビティで観光客に洞爺湖町の自然の魅力を発信しています。洞爺湖の活火山と湖と温泉、それに加えて、火山マイスターとのトレッキングを、是非おすすめします。

近隣の中学生も社会科見学等で訪れるそう。次世代にも噴火時に犠牲者ゼロとなるような教育もすすめている

洞爺湖有珠火山マイスターネットワーク
住所:壮瞥町字洞爺湖温泉53 「湖畔の宿 洞爺かわなみ」内
お問い合わせ:下記ホームページよりメールでお問い合わせください。
HP:http://volcano-meister.jp/