北海道からはじまる船旅発掘 [第7回] 幕末の賢侯、徳川斉昭の足跡をたどる旅 その2「黒船来航と幕末の巨人、斉昭の足跡」

「Commodore Perry and his party landing at Yokohama to meet the Shogun's Commissioners」(1855年、Peter Bernhard Wilhelm Heine作、 Smithsonian Institution Image Delivery Servicesより)

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幕末、多くの日本人に衝撃を与えた「黒船来航」

嘉永6(1853)年、ペリーが率いるアメリカ海軍の軍艦4隻が江戸湾に現れます。後に「黒船来航」と呼ばれるこの事件は、当時の日本人たちに大きな衝撃を与えました。ペリーの来航目的は交易及び太平洋での寄港地獲得のための開国要求。そのためのアメリカ大統領の親書を江戸幕府に渡しに来たのですが、並の手段では通らないだろうと思ったペリーが、当時の最新技術の蒸気船を含めた軍艦をもって半ば脅迫のような形で開国を果たそうとしていたのです。しかし、斉昭はこの状況が非常に気に入りませんでした。

「水戸烈公肖像」(京都大学附属図書館所蔵)部分

このような外部からの侵入に備えようとした斉昭

それまで、「国内外で事件が相次いでいる国家的危機をいかに克服するか」を探求する水戸学をベースに軍備増強を目指していた斉昭にとって、ペリーの開国要請は脅威に見えたのは当然でしょう。これに現代の総理大臣に値する老中首座の阿部正弘は、「異人と国交などありえない」と主張していた斉昭のカリスマ性と実行力を見込んで、海防参与という現在の防衛大臣のような役職を与え、西洋の来航に備えようとしました。

就任後、水戸学をベースにして強硬な攘夷論を主張した斉昭は、江戸防備のために大砲や洋式軍艦「旭日丸」を建造し幕府に献上するなど、積極的に防衛に取り組みましたが、開国には反対していたので開国派との対立が激しくなりました。

井伊直弼の肖像(国立国会図書館デジタルコレクション収載データを加工)

井伊直弼との政争で敗れ、果たせずに終わってしまった斉昭の夢

結局、開国論に対して激しい反対意見を出していた斉昭は、開国を推進する井伊直弼と対立することになります。また、火に油を注ぐように将軍の後継問題を巡って、さらに直弼と対立することになりました。しかしこの政争で斉昭は敗れてしまい、安政5(1858)年、直弼が大老となって日米修好通商条約を独断で調印されてしまいます。もちろん次期将軍も斉昭が推していた自分の息子、一橋慶喜ではなく、徳川慶福(家茂)が第14代将軍となりました。

しかし、この結果に反対し江戸城無断登城をして直弼に抗議した斉昭は、逆に直弼から江戸の水戸屋敷での謹慎を命じられ、幕府の中心から外されることになります。これに続き、「安政の大獄」と呼ばれる、孝明天皇が水戸藩に密命を下した事件が発生し、激怒した直弼が、安政6(1859)から斉昭に水戸での永蟄居を命じることになり、事実上は政治から引退することになりました。

この一件が引き金になったかはわかりませんが、翌年の万延元(1860)年、斉昭は心筋梗塞が原因で波乱万丈だった人生の幕を下ろします。

弘道館(茨城県提供)

明治維新の原点となった水戸学の聖地「弘道館」

激動の幕末、国内外の危機を打開し日本を強い国へと変えようとした徳川斉昭。彼の意志はその後も受け継がれ、明治維新のきっかけとなりました。そんな斉昭の足跡を感じることができる場所が、現在の茨城県に残っています。

まずは、本文中にも紹介した「弘道館」。斉昭が人材育成を目指して建設した水戸藩の学校で、近世日本の教育遺産群として日本遺産にも登録されている場所です。館内は、藩校当時と変わりのない姿を維持しているので、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になります。特に「水戸の梅まつり」の時期に訪問すると、満開の梅で囲まれ絶景になります。

偕楽園(茨城県提供)

領民のための休養空間「偕楽園」

また、水戸市内には弘道館以外にも日本遺産に認定された施設が他にもあります。それが弘道館と対になって語られることが多い「偕楽園」です。天保13(1842)年、斉昭によって領民の休養の場所として開園された偕楽園は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられる名園です。

約100種3,000本の梅が植えられている偕楽園は、2月下旬から3月下旬にかけての「水戸の梅まつり」をはじめ、桜、つつじが綺麗に咲き乱れ、秋には萩、初冬には二季咲桜と、季節ごとに華やかな彩を見せるのが特徴です。

特に、偕楽園は弘道館ともかかわりがあり、偕楽園は「楽しむ場所」として、弘道館は「文武を学ぶ場所」として同時に造られた場所で、どちらも斉昭の「一張一弛(いっちょういっし。時には厳格に、時には寛容に生きるべき)」という儒学の思想によって造られました。このことから、封建的で、厳格さが重んじられていた江戸時代の中でも開かれていた斉昭の考えを見せてくれます。

茨城県立歴史館(茨城県提供)

四季折々の美しい庭園を楽しみながら茨城県の歴史にふれる

茨城県のさまざまな歴史的資料を保管している「茨城県立歴史館」も見所です。1974(昭和49)年に開館した茨城県立歴史館は、茨城の原始古代から近現代までの歴史が常設展示されています。広い敷地の中には、本館のほかにも移築復元された江戸時代の民家建築や明治時代の洋風校舎などと、季節ごとにさまざまな美しい装いを見せてくれる木々があるので、散策にもぴったりです。

特に、庭園のイチョウ並木が黄葉を迎える11月には、「歴史館いちょうまつり」を開催。土・日・祝日を中心に和楽器の演奏会、お茶会、体験遊びなど日本の伝統文化を楽しむイベントを行います。

大手門(茨城県提供)

令和2(2020)年復元完了となった水戸城「大手門」

その他にも、今年復元が完了した水戸城の大手門など見どころのある歴史的建造物が多いので、幕末の名君、徳川斉昭の意志が残されている茨城県に、ぜひ一度訪問してみてください!

「水戸学の道」散策マップ

水戸市では弘道館と水戸城跡周辺「水戸学の道」を歩いて楽しめる散策ルート及び、水戸が誇る歴史・文化を紹介したマップを配布しています。「水戸学の道」の散策ルートだけでなく、おすすめフォトスポットやグルメ・土産品情報まで紹介していますので、ぜひご活用ください。

詳しくはこちらのホームページからご確認ください。

※「北海道からはじまる船旅発掘」の連載は第7回をもって終了いたします。最後までお読みいただきありがとうございました。

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参考資料

山川菊栄著「覚書幕末の水戸藩」(岩波文庫刊)

高須芳次郎著「光圀と斉昭」(潮文閣刊)

松波治郎著「水戸学と葉隠」(創造社刊)

NHK取材班編「ライバル日本史1巻・5巻」(角川書店刊)

観光いばらき
https://www.ibarakiguide.jp/matome/page-104742.html

茨城県立歴史館
http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/06_jiten/tokugawa/tanjo.htm

水戸市
https://www.city.mito.lg.jp/001373/001374/0/bunkazai/p021192.html
https://www.city.mito.lg.jp/001433/003463/p019341.html

写真提供

商船三井フェリー株式会社

茨城県庁観光物産課宣伝誘客グループ

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
水戸烈公肖像
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00014065

国立国会図書館デジタルコレクション
井伊直弼肖像
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918524/5

Smithsonian Institution Image Delivery Services
黒船来航
http://ids.si.edu/ids/deliveryService?id=NPG-8200262B_1

シリーズ【北海道からはじまる船旅発掘】