北海道からはじまる船旅発掘 [第6回] 幕末の賢侯、徳川斉昭の足跡をたどる旅 その1「蝦夷地に憧れた男、徳川斉昭の蝦夷地研究」

「水戸烈公肖像」(京都大学附属図書館所蔵)部分
  • 第6回はJP01メンバーの旅行記続編をお送りするとご案内しておりましたが、スケジュールを変更し、第6回と第7回は北海道の開拓や日本の近代化に大きな影響を与えた幕末水戸藩の巨人、「徳川斉昭」と「水戸学」についてご紹介いたします。皆さまのご理解とご了承をお願いいたします。

新型コロナウイルス感染症が世界各国で広がりをみせている今、感染拡大を防ぐために外出や旅行を控えている方はたくさんいらっしゃると思います。あくまで日常生活あっての旅行ですので、今は一人一人が感染予防にしっかり気を配り、社会全体で力を合わせてこの危機を乗り越えることが大切だと思います。この先、新型コロナウイルス感染症終息の兆しが見えて、安心して旅行ができる日が来ることを祈りながら、終息後の楽しい船旅のためにこれからも皆さまに船旅の夢を育んでいただきたいと思います。

幕末を代表する名君、徳川斉昭

幕末、江戸無血開城を決心した15代将軍徳川慶喜の実父であり、優れた能力とカリスマ性で「幕末の賢侯」「水戸藩最後の名君」などで呼ばれる徳川斉昭(とくがわ なりあき、1800~1860)。一見北海道と関りのないように思える斉昭が、実は蝦夷地に興味を持っていたことはご存じでしょうか?

今回は徳川斉昭の蝦夷地研究を調べながら、北海道と茨城県の繋がりをご紹介いたします。

「水戸光圀公之肖像及書」(京都大学附属図書館所蔵)部分

若き斉昭に大きな影響を与えた「水戸学」の基礎を作った徳川光圀

徳川斉昭は水戸藩第7代藩主、徳川治紀の三男として生まれ、幼いころから水戸学者の会沢正志斎(あいざわ せいしさい)の基で「水戸学」を学び、その影響を受けながら成長しました。ここでまず、「水戸学」とは何かというところから説明する必要があるでしょう。

水戸学とは、「水戸黄門」で知られている水戸藩第2代藩主徳川光圀(とくがわ みつくに)が始めた「大日本史」の編纂事業のために集まった学者を中心に発展し、藤田幽谷、会沢正志斎、藤田東湖、そして斉昭によって形成された学問・思想のことです。儒学思想を中心に国学、史学、神道を結合させた「国内外で事件が相次いでいる国家的危機をいかに克服するか」を探求する学問である水戸学の思想は、斉昭の「天保の改革(藩政改革)」の指導理念となりました。

水戸学は後に、吉田松陰(よしだ しょういん)や西郷隆盛(さいごう たかもり)をはじめとする多くの幕末志士に影響を与え、「尊皇攘夷」思想などの原点となり、明治維新の原動力となったと言われています。

「東西蝦夷山川地理取調圖」(松浦竹四郎著、京都大学附属図書館所蔵)部分

斉昭も光圀同様、蝦夷地に強い関心を示していた

さて、ここで話を斉昭の時代に戻してみましょう。斉昭は若いころから蝦夷地の経営に大きな関心を示しました。蝦夷地関係の書籍を多数集めるのはもちろん、天保5(1834)年には、幕府に対して蝦夷地拝領を願い出て、直接蝦夷地を経営しようとする意志もありました。

ところが、幕府は水戸藩の蝦夷地進出を許すつもりはなかったので、斉昭の申し出はすべて断られてしまいます。幕府の意思を確認した斉昭はそこであきらめずに、ほかの方法を探り始めました。天保9(1838)年、水戸藩の那珂湊の豪商大内清衛門に密命を与え、「蝦夷地の情勢を探れ」と極秘に蝦夷地へ派遣したのです。

徳川斉昭著「戊戌封事」(国立国会図書館デジタルコレクション収載データを加工)

「戊戌封事」は斉昭の蝦夷地開拓の意志がこもった企画書だった

翌年の天保10(1839)年に幕府の改革及び蝦夷地開拓・海軍創設などの意見を込めた「戊戌封事(ぼじゅつふうじ)」を将軍に提出する一方、蝦夷地開拓のために移住した時を仮定して開拓の政策などを詳細に計画した「北方未来考」の執筆まで行い、蝦夷地開拓の必要性を持続的に謳っていました。

しかし、このような水戸藩の「軍備増強・藩政改革」に幕府が危機を感じたのでしょうか。寺院の釣鐘や仏像を没収して大砲の材料にした天保14(1843)の「寺社改正」の件、翌年の弘化元(1844)年に起きた「鉄砲斉射の事件」などで責任に追われ、幕府より隠居謹慎を命じられてしまいます。

(茨城県提供)

斉昭の思いがこもった藩校「弘道館」

もちろん、このような斉昭の蝦夷地への熱望はただの妄想ではなく、水戸学の思想に基づいて計算された計画でした。ロシアの蝦夷地出没や、西洋の船が度々姿を現していた当時、「国内外で事件が相次いでいる国家的危機をいかに克服するか」という考えを実現するために必要な要素の1つは「蝦夷地開拓」だったのです。実際、斉昭は蝦夷地開拓以外にもさまざまな政策で西洋の脅威に備えようとしましたが、その代表的な政策が藩校「弘道館」の設立、大船建造の解禁、西洋近代兵器の国産化でした。

中でも弘道館は、広く一般の民からも人材を取り入れるために斉昭の命で作られた藩校で、施設は文館、武館、医学館が設置され、水戸学の他に自然科学や武道などさまざまな分野の学問が学ばれる、いわば現代の総合大学のような施設だったと言われています。幕末水戸藩の人材の多くがこの弘道館によって発掘されたことから、斉昭の弘道館建立は成功的だったといえましょう。特に、「学問は一生行うもの」と心掛けていた斉昭の意志がこもっていたことからかもしれませんが、「卒業」という制度がなかったことも大きな特徴です。

「Commodore Perry and his party landing at Yokohama to meet the Shogun's Commissioners」(1855年、Peter Bernhard Wilhelm Heine作 Smithsonian Institution Image Delivery Servicesより)

幕末、多くの日本人に衝撃を与えた「黒船来航」

隠居謹慎に処された斉昭は、改革に積極的だった斉昭を支持する下士層の復権運動などもあって、2年後の弘化3(1846)年に謹慎を解除され、嘉永2(1849)年からは藩政へ復帰しました。しかし4年後、日本の近代史を大きく変える大事件が起こり、斉昭もその事件の中心にかかわることになります。

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参考資料

山川菊栄著「覚書幕末の水戸藩」(岩波文庫刊)

高須芳次郎著「光圀と斉昭」(潮文閣刊)

松波治郎著「水戸学と葉隠」(創造社刊)

茨城県立歴史館
http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/06_jiten/tokugawa/tanjo.htm

写真提供

商船三井フェリー株式会社

茨城県庁観光物産課宣伝誘客グループ

京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
水戸烈公肖像
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00014065
水戸光圀公之肖像及書
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00014063
東西蝦夷山川地理取調圖
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00022926#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=-6721%2C-257%2C18045%2C5123

国立国会図書館デジタルコレクション
戊戌封事
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2533354

Smithsonian Institution Image Delivery Services
Commodore Perry and his party landing at Yokohama to meet the Shogun’s Commissioners
http://ids.si.edu/ids/deliveryService?id=NPG-8200262B_1